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懐かしいのひと言です。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。懐かしんでいただけたなら、こちらも嬉しいです。
モボ120型の中でも、ドア窓が1枚ガラスのモボ126もありましたね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。そんな細部に違いがある車輛がいるとは知りませんでした。
手持ちの映像で、仰る通りのモボ126の特徴、たしかに確認できました。近々、嵐電の動画をアップしますが、その中でモボ126を紹介します。
モボ611はモボ111の、モボ621はモボ121の車体を載せ替えたものですがモボ631はこのク201の運転台機器に牽引用にモボ121に増設されたモーターと叡電のデナ21からパチってきた制御機器を付けた機器のかき集め車両です。(現在は全車が機器更新済み)当時はモボ101モボ301や501が新しい時代でしたがモボ501はモボ2001導入による早期廃車もしくはリニューアル工事がされ、またモボ101も新車での置き換えが決まりました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。モボ121以外にク201から機器流用があったというだけでもちょっと驚きですが、叡電デナ21からも流用があったとは!
@@昭和電車チャンネルしかも吊り掛けモーターだけそのままで制御機器や台車、パンタグラフまでもを新品に交換してるくらいなのでまだまだ使う気です。所詮は吊り掛けで高速域性能は悪いので機器更新とはいえ勾配の多い北野線はモボ2001が優先的に使われているのが現状です。
1本ポ-ル・パンタグラフの最古型を拝みたい、乗りたい😂
いつもご視聴、コメントありがとうございます。ポール時代の嵐電は、やはり憧れますよね。
しかし、タイムマシ-ンに乗る様で過去に戻りはしないかと幻想しました❗️
嵐電の沿線に住んでいたことがあるので懐かしい😭😭
いつもご視聴、コメントありがとうございます。この時代の電車の形やカラーリング、懐かしいですよね。
またまた懐かしい動画をありがとうございます。蚕ノ社は父親の勤め先の近くで写っている焼肉モナコがとても懐かしく思えました。ク201は路面電車っぽくないところが好きでワンマン化されたあとも連結時は車掌さんが乗務していたのを思い出しました。また楽しみにしております。
ご視聴、コメントありがとうございます。懐かしく感じられるものがたまたま写っていて良かったです。ワンマン化された後も車掌さんが乗務していたのですね。車内が写っている動画があったかもしれないので確認してみます。
@@昭和電車チャンネル 2両のときは通り抜けができないため車掌乗務は必要ですね。
「連結2人乗り」と言えば東急世田谷線😉
’87.4といえば、等持院の近くの大学に入学したころで、リアルタイムで覚えています。懐かしいですね。嵐電はやっぱりこの色ですよ。自動車教習所のコースがこのあたりの併用軌道を通るため、ひやひやしながら走った記憶があります。
ご視聴、コメントありがとうございます。当時をご記憶の方から具体的な思い出をお寄せいただくのは、投稿者としても嬉しいものです。教習所といえば、座学で黄色の信号(路面電車用)は習ったものの、一部の都市を除き、実際の運転ではまずお目にかかりませんね。
@@昭和電車チャンネル ↑近所にその黄色い信号機があるオッサン😉
このときは旧型車の2両運転も嵐山本線で見られましたが、北野線は不明です。北野線も春になると桜のトンネルが鳴滝~宇多野で実現するので運転されそうですが。北野線は大体モボ101形・モボ300形・モボ501形が多かったみたいですが、現在はモボ610シリーズとモボ2000形も入ります。モボ503・モボ504はドア位置がモボ501・モボ502と違うので早くも廃車になった車両です。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。当時撮影した北野線の映像がまだありますので、確認の上、いずれアップ予定です。桜のトンネルもあったはずです。
(元)地元の人間としては嵐電を路面電車と言われることには抵抗がある…
いつもご視聴、コメントありがとうございます。仰ることは解ります。本線には併用軌道区間が一部あるものの北野線には全くありませんし、これを路面電車と呼ぶのはちょっと変ですよね。ただ、嵐電は法的には軌道線に分類されており、(玉電の併用軌道区間全廃後に残った)東急世田谷線のように、併用軌道区間が全く無いにもかかわらず法的には鉄道線ではなく軌道線に分類されている例もあります。本動画の「路面電車」区分は、この法的分類に準じております。
今では蚕ノ社~山ノ内間に嵐電天神川電停が開業したり(その直前には地下鉄東西線太秦天神川駅が同じ位置に開業し、同時に完成した直上の複合施設「サンサ右京」には中京区壬生坊城町にあった京都市交通局本庁舎ならびに広隆寺西側にあった右京区役所、さらには映画村真向かいにあった右京図書館がそれぞれ移転してきた)、阪急駅の東側改札口新設に関連して西院駅のレイアウトが変更されたりと、目まぐるしい変化を見せています。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。電停が増えていたり道路が付け変わっていたり、沿線がいろいろ変化していたことは、この動画編集の際に、資料や地図を調べて初めて知りました。
もう数年前なら詰襟制服の動画も撮れましたね。
ご視聴、コメントありがとうございます。そういえば詰襟制服の写真をどこかで見た記憶があります。もっと早くから撮ってれば・・・と、どの鉄道についても思いますが、こればかりは仕方ないですよね。
貴重な映像をありがとうございます。嵐電は何度か乗っていたはずですが、このトレーラーには乗らずじまいでした。札幌市交通局にも先日引退したM101号の相方のTc1がいて、親子電車という連結運用がありましたね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。動力車に対してトレーラが同じような姿をしている点で、名鉄モ520形も同類ですが、もっと昔のナローの編成のようにサイズや形がアンバランスなのは、別の魅力がありますね。(私は実物を見たことがなくて、猫屋線を眺めて想像しています・・)
私もさすがにク201は乗ってない😵
モーターの無い片運転台車のク201型は以前確かに存在しましたね。現在はモボ631型の3両(631〜633)がク201型の名残です。路面電車でなぜ制御車?と当時は思いました。朝ラッシュ時や行楽シーズンの休日に、4個モーター化されたモボ121〜124とペアを組み(121-201•122-202•123-203)嵐山向に連結されてました。124は121〜123が検査等で抜かれた場合のピンチヒッターとして牽引しました。旧モボ車は順次501型以降に運転装置、台車、モーター等が流用され廃車となり最後まで残った124-202も625、633に流用し旧モボ車は消滅しました。その後、Zパンタグラフや台車が名残りとなり611型や621型で見れましたが老朽化の為、新台車やシングルアームに交換され旧モボの名残りが消えてしまいました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。やはり、路面電車での片運制御車は珍しい存在だったのでしょうね。旧モボの変遷を解説いただき恐縮です。他車で機器が流用された名残まで消滅してしまったのですね。
111形再現して新車で出現して欲しいです。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。明治時代の路面電車復元では複数の事業者で例がありますが、大正~昭和初期製で皆に親しまれた記憶の残る車輛については、各社なかなか復刻車体を出してくれませんね。
嵐電天神川は影も形もありません。
ご視聴、コメントありがとうございます。私は、今回動画編集の際に最新情報を調べることで、駅(電停)が増えたり、道路が変更整備されていることに気付きました。
懐かしいのひと言です。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
懐かしんでいただけたなら、こちらも嬉しいです。
モボ120型の中でも、ドア窓が1枚ガラスのモボ126もありましたね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
そんな細部に違いがある車輛がいるとは知りませんでした。
手持ちの映像で、仰る通りのモボ126の特徴、たしかに確認できました。近々、嵐電の動画をアップしますが、その中でモボ126を紹介します。
モボ611はモボ111の、モボ621はモボ121の車体を載せ替えたものですがモボ631はこのク201の運転台機器に牽引用にモボ121に増設されたモーターと叡電のデナ21からパチってきた制御機器を付けた機器のかき集め車両です。(現在は全車が機器更新済み)
当時はモボ101モボ301や501が新しい時代でしたがモボ501はモボ2001導入による早期廃車もしくはリニューアル工事がされ、またモボ101も新車での置き換えが決まりました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
モボ121以外にク201から機器流用があったというだけでもちょっと驚きですが、叡電デナ21からも流用があったとは!
@@昭和電車チャンネルしかも吊り掛けモーターだけそのままで制御機器や台車、パンタグラフまでもを新品に交換してるくらいなのでまだまだ使う気です。所詮は吊り掛けで高速域性能は悪いので機器更新とはいえ勾配の多い北野線はモボ2001が優先的に使われているのが現状です。
1本ポ-ル・パンタグラフの最古型を拝みたい、乗りたい😂
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
ポール時代の嵐電は、やはり憧れますよね。
しかし、タイムマシ-ンに乗る様で過去に戻りはしないかと幻想しました❗️
嵐電の沿線に住んでいたことがあるので懐かしい😭😭
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
この時代の電車の形やカラーリング、懐かしいですよね。
またまた懐かしい動画をありがとうございます。
蚕ノ社は父親の勤め先の近くで写っている焼肉モナコがとても懐かしく思えました。
ク201は路面電車っぽくないところが好きでワンマン化されたあとも連結時は車掌さんが乗務していたのを思い出しました。
また楽しみにしております。
ご視聴、コメントありがとうございます。
懐かしく感じられるものがたまたま写っていて良かったです。ワンマン化された後も車掌さんが乗務していたのですね。車内が写っている動画があったかもしれないので確認してみます。
@@昭和電車チャンネル 2両のときは通り抜けができないため車掌乗務は必要ですね。
「連結2人乗り」と言えば東急世田谷線😉
’87.4といえば、等持院の近くの大学に入学したころで、リアルタイムで覚えています。懐かしいですね。
嵐電はやっぱりこの色ですよ。自動車教習所のコースがこのあたりの併用軌道を通るため、ひやひやしながら走った記憶があります。
ご視聴、コメントありがとうございます。
当時をご記憶の方から具体的な思い出をお寄せいただくのは、投稿者としても嬉しいものです。教習所といえば、座学で黄色の信号(路面電車用)は習ったものの、一部の都市を除き、実際の運転ではまずお目にかかりませんね。
@@昭和電車チャンネル ↑近所にその黄色い信号機があるオッサン😉
このときは旧型車の2両運転も嵐山本線で見られましたが、北野線は不明です。北野線も春になると桜のトンネルが鳴滝~宇多野で実現するので運転されそうですが。北野線は大体モボ101形・モボ300形・モボ501形が多かったみたいですが、現在はモボ610シリーズとモボ2000形も入ります。モボ503・モボ504はドア位置がモボ501・モボ502と違うので早くも廃車になった車両です。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
当時撮影した北野線の映像がまだありますので、確認の上、いずれアップ予定です。桜のトンネルもあったはずです。
(元)地元の人間としては嵐電を路面電車と言われることには抵抗がある…
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
仰ることは解ります。本線には併用軌道区間が一部あるものの北野線には全くありませんし、これを路面電車と呼ぶのはちょっと変ですよね。ただ、嵐電は法的には軌道線に分類されており、(玉電の併用軌道区間全廃後に残った)東急世田谷線のように、併用軌道区間が全く無いにもかかわらず法的には鉄道線ではなく軌道線に分類されている例もあります。本動画の「路面電車」区分は、この法的分類に準じております。
今では蚕ノ社~山ノ内間に嵐電天神川電停が開業したり(その直前には地下鉄東西線太秦天神川駅が同じ位置に開業し、同時に完成した直上の複合施設「サンサ右京」には中京区壬生坊城町にあった京都市交通局本庁舎ならびに広隆寺西側にあった右京区役所、さらには映画村真向かいにあった右京図書館がそれぞれ移転してきた)、阪急駅の東側改札口新設に関連して西院駅のレイアウトが変更されたりと、目まぐるしい変化を見せています。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
電停が増えていたり道路が付け変わっていたり、沿線がいろいろ変化していたことは、この動画編集の際に、資料や地図を調べて初めて知りました。
もう数年前なら詰襟制服の動画も撮れましたね。
ご視聴、コメントありがとうございます。
そういえば詰襟制服の写真をどこかで見た記憶があります。もっと早くから撮ってれば・・・と、どの鉄道についても思いますが、こればかりは仕方ないですよね。
貴重な映像をありがとうございます。
嵐電は何度か乗っていたはずですが、このトレーラーには乗らずじまいでした。
札幌市交通局にも先日引退したM101号の相方のTc1がいて、親子電車という連結運用がありましたね。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
動力車に対してトレーラが同じような姿をしている点で、名鉄モ520形も同類ですが、もっと昔のナローの編成のようにサイズや形がアンバランスなのは、別の魅力がありますね。(私は実物を見たことがなくて、猫屋線を眺めて想像しています・・)
私もさすがにク201は乗ってない😵
モーターの無い片運転台車のク201型は以前確かに存在しましたね。現在はモボ631型の3両(631〜633)がク201型の名残です。
路面電車でなぜ制御車?と当時は思いました。朝ラッシュ時や行楽シーズンの休日に、4個モーター化されたモボ121〜124とペアを組み(121-201•122-202•123-203)
嵐山向に連結されてました。124は121〜123が検査等で抜かれた場合のピンチヒッターとして牽引しました。旧モボ車は順次501型以降に運転装置、台車、モーター等が流用され廃車となり最後まで残った124-202も625、633に流用し旧モボ車は消滅しました。その後、Zパンタグラフや台車が名残りとなり611型や621型で見れましたが老朽化の為、新台車やシングルアームに交換され旧モボの名残りが消えてしまいました。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
やはり、路面電車での片運制御車は珍しい存在だったのでしょうね。旧モボの変遷を解説いただき恐縮です。他車で機器が流用された名残まで消滅してしまったのですね。
111形再現して新車で出現して欲しいです。
いつもご視聴、コメントありがとうございます。
明治時代の路面電車復元では複数の事業者で例がありますが、大正~昭和初期製で皆に親しまれた記憶の残る車輛については、各社なかなか復刻車体を出してくれませんね。
嵐電天神川は影も形もありません。
ご視聴、コメントありがとうございます。
私は、今回動画編集の際に最新情報を調べることで、駅(電停)が増えたり、道路が変更整備されていることに気付きました。